沖伝

いつか子孫が読んでくれたら嬉しい

就職

馬鹿だった。

 


承認欲求を満たすため、とにかく誰もが知る大企業に入社するんだと意気込んだ就職活動。高校の選択と同じ過ちを犯して馬鹿だ。

 


結局、全国転勤ありのメガバンクに入社が決まり目的を果たした。

沖のような三流大学出身者がメガバンクに入社する枠は「兵隊」と呼ばれる。つまり使い捨て。

営業成績が良ければ昇進はあるが、悪ければ片道切符の出向。仮に良かってもピラミッドの上は名門大学出身者が占拠するため、我々は溢れる運命にある。

どちらにせよ息が長いか短いかの違いだけでいつかはポイ。だから兵隊。

(現場に出たらどこの大学出身とか関係ないけどね。大学とか派閥とか関係なしに個性見て判断出来ないのか。人事部って何してる?と悪態はついておく)

 


沖は入社してすぐ辞めた。配属された支店での人間関係が原因だ。

部長がすぐ怒る人で毎日緊張していた。課長は部長の腰巾着で、もう一人の女課長は女性は保護するけど男性には厳しい人。支店長はいやらしいネチョッとした小姑みたいな男。

 


特に小姑の支店長とは馬が合わなかった。

結婚していると聞いて、こんな男でも結婚って出来るんや!と心底驚いた。

最近は孫と遊ぶと聞いて、こんな男でも子供と円満にやれてるんや!絶縁されてないんや!と心底驚いた。

支店では息もしたくなかった。

 


ただし「辞める」ではなく、「辞めざるを得ない」にしたかった。辞めるって言えないプライドと引き留められたくもなかった(たぶん誰も留めなかったけど)。

 


そのため精神的な病気で退職することにした。

 


ある日曜日。バリカンで髪の一部分だけ刈り取る。

翌日月曜日の朝。腰巾着課長に電話をして「会社に行けない…」と大袈裟に声を震わせ、休む旨と精神科医にかかることを報告。そのまま精神科に行き、医者に「ストレスで…脱毛が…」とまた声を震わせる。

すると医者が頭部を見て「うわっ…こりゃひどい…」と一言。適応障害の診断書をもらう。病院を出てガッツポーズ。バリカンさんきゅ。

 


こうして4月に入社し8月から休職しまもなく退職した。

沖は同期の中で最も息が短い銀行員だった。

 


支店長に辞めた後は「司法書士の勉強します」と伝えると「自分の実力を自覚しいや」と小姑らしい言葉を貰った。

この言葉は沖が司法書士を勉強するエネルギーに変わった。ありがとう。あの時の言葉。

 


高校の選択と就職活動で沖は遅すぎる教訓を得た。見栄っ張りや承認欲求は後々自分を苦しめる毒だ。

周りがどう思うかを軸に置かないで欲しい。この原動力では継続が出来ない。

自分がどうしたいかを追求してほしい。

高校野球

高校の野球部はスポーツ推薦で入部した。毎年地方予選でベスト4から8には入る強豪校だ。

残念ながら沖の代は2回戦で負けたが…。

 

まずなんで野球嫌いなのに強豪校を選んだか。

一つは受験勉強をしたくなかった、ただこれは大きな理由ではない。

最も大きなことは沖の性格にある。

遡ること幼少期。沖は大人しく女の子と遊ぶことが好きだったそうだ。そのため男子から揶揄われたり馬鹿にされたりしたが、喧嘩する根性もなく、ただ悔しい思いを抱えたままだった。

それでも野球を始めてからは、パッタリそんな経験をした覚えはない。

(長男には是非体育会系の部活動を推奨したい(でも野球は尻大きなるから注意。引退してからも尻の大きさ変わらないから注意。サッカーの方がモテてキラキラした青春送れる可能性高いから注意))

 

だが沖の中で、その悔しい思いが消化されることはなく、「下剋上」にとても快感を得るようになった。

弱い方が勝つのが好きになり、負けている方を応援する。要は自分を投影しているのだ。

 

だから「自分も本当はすごいんだ」「認められたい」という思いを抱き、その承認欲求を満たすために強豪校を選んだ。

これが最たる理由だ。

 

 

 

この選択はミスだった。

承認欲求が満たされるのは入学前だけだ。

 

ある者は3年夏までの高校野球人生を懲役2年半と言った。

 

毎日朝練に行く時、かるーく車に轢かれへんかなぁと思っていた。

 

でもこの承認欲求が就職活動の時にも登場してきて、また選択ミスをするのだから、2年半の懲役を経ても人間はそう簡単には変われれない。

日常

銃口を突き付けられたら、今の何気ない日常が沖の走馬灯になるはずだ。

日常をもっと大切にしよう。

Twitterで公開されていた、にしむらアオさんの『君の春』という漫画を読んでから、特にそう思う。

 


これまで長女の初めての登園や運動会、特別なイベントの度、感動した。

 


でも沖は子供が自立し、もう戻れないと咽び泣くその時、頭にあるのはきっと何気ない日常だ。

 


幸い子供達は大きな病気や怪我もないが、思い出すのは長女の便秘。

 


まだ喋ることのできない1才前後の時に、便が2〜3日出ず、気張るけど出ないを繰り返し、脂汗も出てきて、便秘で死ぬことってあるの?と最悪のことがよぎった。

 

右往左往しながらも、妻が綿棒で浣腸をした。

 


すると出た。

 


妻とクレヨンしんちゃん野原みさえの歌を歌った。

♪出た~でたでた でたでたでたでたでた~ (★ なにが?)♪

♪出た~でたでた でたでたでたでたでた~♪

 


この日を忘れない。

 

 

 

それから時は経ち、冒頭の『君の春』を読んで、沖は号泣した。

 


一秒でも長くこの子達に触れていたい気持ちが溢れ、寝ている長女に上から覆うように抱き付いた。すると長女が便をしていて、オムツ一枚を挟んで便を顔面で受けた。

飛び跳ねた。

 


この日を忘れない。

 

 

 

長男も健康。

ただ一度転倒して机の角で舌を切ったことがある。口からピューと血が吹き出た。

親は何も出来ず無力で泣きそうになっただけ。

でも案外止血すると何事もなく、時間外の病院に行ったが、これくらいで来たの?みたいな雰囲気をひしひしと感じた。

 


しどろもどろになっただけの、この日を忘れない。本当に頭が真っ白になるってのはこのことか、と実感した。でも冷静ではいられなくなるもんだ。

 

 


お風呂に入って湯船に浸かったら、長男は必ず沖に背中を向けて身を預ける。

それが日常。

一週間前、湯船に浸かってから、一度も身を預けず、水面をばちゃばちゃと叩き一人で遊んだ。

それっきり、身を預けることは無くなった。

 


何でもないことでも、沖にとっては、涙が出るくらい寂しい。でも喜ばないと。そして忘れないこと。

 

 

 

もうすぐ春。桜が咲いたらもう元には戻らない。蕾の時をもっと見ていたい。

もっとゆっくりでいいよ。もっとゆっくりでいい。

中学野球

中学ではこれまた兄の影響で外部の野球チームに入った。

 


土日のみの練習だったが、この頃から野球が本格的に億劫になりだした。

 


少年野球の時はキャプテンで中心選手だった。

 


中学は外部チームということで、各地から本気で野球をと気概のある猛者が集まった。

 


そこで実力差を感じ、初めて野球をしていて惨めな思いを抱いた。

 


また野球が本当に難しく思えたのもこの頃からだ。

 


野球では当たり前のことを当たり前にする人員が一定数、必要となる。

 


当たり前のこととは例えばバントをすることや内野ゴロをさばくこと。

この役割を免除されるのは、パワーがある子やボールを早く投げれる子で、沖はそうではなかった。

この役割分担が明確化したのは中学からだった。

 

出来て当然のことをするのが沖は苦手だった。理由は出来て当然と思われているから。
出来て当然のことを出来た時、自分はめちゃくちゃハッピーなのだが、周りは気にも留めていない。

でも出来なかった時は怒られる。だからまた機会が来た時に緊張して出来ない、ミスをする。

公開処刑で怒られた時のあの情けないような恥ずかしいような感情が本当に大嫌い。

だからこそ力んでしまう…。

そんな負のループに浸かり、自分の実力不足も相まって、八つ当たりで野球を憎んだ。

 

 

精神的にも身体的にも弱かった。

 


自主練もしたこともあったけど、当たり前のことを当たり前に出来るような自主練をしていた。

今思えば沖がするべきはそうじゃなかった。

その役割を免除される選手になる努力をすべきだった。

この頃、事情により父親はおらず、アドバイスをくれる人はおらず、方向転換も出来ないまま進む。

これが中学生の時の沖の野球ライフだった。

鈴木1

鈴木について書く。

 


鈴木は小学校からの同級生で同じ町内で兄の学年も同学年、そして兄の影響で野球を始めた点も同じでもちろん小学校の野球チームも同じ、小学校のスイミングスクールも同じで中学からの塾も同じだった。

 


鈴木はいい奴だ。まぁ正しくはいい奴になった。

 


小学校低学年の時は典型的なガキ大将であり、鈴木が打ったボールを皆んなが拾いに行き、取り次第急いで鈴木に返しに行ってはまた鈴木が打つという遊びを繰り返していた。

 


鈴木の父親は九州の出であるため血の半分は九州だが、鈴木は九州男児完全体と言っていいほど勇ましかった。

 


鈴木としたのは鈴木亮平に似ているためだが、沖の目には鈴木亮平よりもっと西郷どんに映っていた。

 


兄と喧嘩をして怒りすぎた鈴木がゲロを吐いても向かって行く姿を見たことがある。

強靭な肉体と不屈の精神を持ち合わせ、

またドッチボールをすれば団子になっている女子達は狙わず男子だけを狙う英国紳士的な面も持ち合わせていた。

 


そんな九州男児且つ英国紳士の鈴木は異性からモテた。

 


しかし「色恋なんぞにうつつをぬかさんのじゃ」と言ってはないが、その言葉を体現したかのように野球に没頭していた。

 


ある日鈴木はラブレターを貰った。内容は

『○か×かで答えてください。

好きな人はいますか?

私のこと好きですか?

私と遊びに行きませんか?』

と○×質問形式のラブレターだった。

 


それに鈴木は全て△で返信した。

このエピソードは九州男児英国紳士の鈴木をよく表している。

 


鈴木のせいで我々は異性交遊の発展が2年は遅れた。

 


異性と話すと鈴木の「軟弱者がおるのぉ!」と言ってはいないがそういう視線を感じたし、話さないことが男でありかっこいいと信じていた。

 


沖は野球推薦で高校に入学し地元を離れた。入学後、異性を下の名で呼ぶ男児を見て愕然とした。

鈴木なら「軟弱者だらけじゃ!この国は終わりじゃ!」と嘆いていただろう。

 


友人の中で鈴木とは最も共にいた時間は長かった。1年の半分ほど鈴木の家に泊まっていた時期もある。

小学校の時は沖がキャプテン、鈴木が副キャプテンだったが、中学の野球部で鈴木はキャプテンを務めた(沖は外部の野球クラブチームに入った)。

 

キャプテンが相応しく人望があった。はっきりとした性格だったが、人が嫌がるようなことは言わないし、嫌いな者が不幸になることを願うより、関わらない方を選択した。人の悪口も言わなかった。逆に鈴木がいないところで鈴木の良い話が出てくるような人間だった。

 

鈴木は大学を卒業後消防士になった。ピッタリだ。これからも鈴木の熱い魂だけは鎮火できんのじゃ

少年野球

沖は小学生から兄の影響で野球を始めた。

 


でも野球が好きだと思うことはあまりなかった。

 


どちらかというと放課後にするサッカーが楽しくて楽しくてたまらなかった。

W杯の日本戦以外もビデオに録画し、テプラを貼り付け保管していたほどだ。海外クラブのレプリカユニフォームも集めた。

 


それでも野球を続けた。父が熱心だったから続けた。父が喜ぶのに喜んだ。

特別野球で優れた点はなかったが、小学生の頃はキャプテンを務めた。一番最初から野球をしてたからというだけの理由だ。

 


その時の副キャプテンは鈴木。

鈴木は鈴木亮平に似ているため鈴木とした。

 


鈴木は腕っぷしも強く、人望がありキャプテン向きだった。

キャプテンの選挙をすれば確実に沖が落選していただろう。

 


こんな関係だからいびつな形が出来ており、まず鈴木が沖に小声で話す、それを沖が大声で指示をする。

例:鈴木(声出せ)  沖「こえっ出せよっ!!!!!!」

 

そのため沖はキャプテンではなくスピーカーと呼ばれた。

 


ただそんなチームでも粒は揃っており、小学4年の時、区大会では優勝したし、市大会でも準優勝した。4年の区大会決勝は地方テレビの中継があり、逆転のヒットを放った沖がいつまでもガッツポーズをやめないしつこすぎる姿が放送された。

ただし6年にもなるとチームのほころびが出始め予選敗退が多くなった。

キャプテンシーを持たない沖はこれ以降、人の上に立つことはない。

 

小学生が野球を一番楽しめたなとしみじみ思う。

チームメイトには鈴木や中学生からヤンチャになるあいつや今やパパ友だけど当時は身体が貧弱で休みがちのそいつなど、みんながおんなじ一球のボールを追っていた。

 

兄2

兄は大学進学時、東京へ出た。また沖も高校の部活の休みがあまりなく、顔を合わせることがめっきり減った。

 


家族揃って会うことは年に1回程度になった。

その年1回の日。

兄が運転席、沖が助手席、母が後部座席の配置で車に乗っていた。

 


交差点を左折する時だった。歩行者信号は点滅していたが、大学生集団が横断歩道を喋りながら歩いてきた。遂には信号が赤になったが急ぐ様子もなく、

「信号全く気にせず横断歩道渡る俺らどう?」「俺らが合わせるんじゃない。お前らが俺らに合わせるんだ」とでも言わんばかりの大学生だった。

 


すると運転席にいた兄がボソッと

「ッチ、はよいけよ…」と呟いた。

 


落雷が落ちたかのような衝撃だった。

ポケモンのデータが消えて涙を流した男の口から出た言葉とは信じられなかった。

 


後部座席にいた母には聞こえていなかった。

沖は「かあちゃん…東京は怖いところです」と心の中で母に手紙を書いたのであった。