沖伝

いつか子孫が読んでくれたら嬉しい

祖父の死1

家族が産まれた話をしたので、家族が亡くなった話もする。

 


母方の祖父が亡くなった時、沖がまだ保育園児でほとんど記憶がない。

父方の祖父が亡くなったのが、小学4年生の時だった。物心ついてから家族が亡くなったのは父方の祖父が一番最初である。今回は父方の祖父について書く。

 


沖は祖父のことをずっとヤクザと信じていた。

金のネックレスと金の時計をつけ、札をポケットにくしゃっと入れ、毎回お釣りの小銭は兄と沖に寄付してくれる。

 


ヤクザと信じさせるのはこの身なりだけでなく、いつも怒っていたからだ。痰が絡んだような声で怒った。

兄は利口だったため、たいてい沖が怒られた。

 


沖は粗相をしたり、兄にくだらないちょっかいをかけたりして、祖父の家に行った日は必ずと言っていいほど怒られた。叱られたよりも怒られた。

 


一度寝小便を垂らした沖に祖父が怒った時、前日の銭湯でジュースをいっぱい飲ましたからだと、あろうことか祖父のせいにした。

後で知ったことであるが、監督責任ということで父もこってり絞られたらしい。

祖父の家に行くのが嫌で露骨な仮病を使ったこともある。

怒られるうちが華とか手のかかる子ほど可愛いとか、沖はこの言葉を言い伝えはしない。

間違いなく祖父のお気に入りは兄だった。

 


そんな祖父をヤクザだと最近まで信じていた。

最近になってヤクザだったんでしょ?と母に聞くと、違うチンピラだよ。と言った。

そうとなればあのポケットにあった札はどこから来たのか。

 


祖父と祖母は互いに一人暮らしをしているような夫婦だった。

祖父は家でご飯を食べたことがないらしい。

祖母のご飯が不味いからだそうだ。確かに米の水っ気が多くてべちゃべちゃしていた。

祖母の顔はしわがぐっと寄った険しい顔をしていて、沖は祖母に会う度にカップヌードルのエビを思い出した。

顔は険しかったけど、祖母は優しかったはずだ。

はずと言うのも祖母は祖父に相当に気を遣っていたんじゃないかと推測している。

本当は、孫をそんな怒らないで!と思っていたに違いない。ただいかにも昭和気質の祖父にそんな指摘が出来るはずもない。

そもそも祖父と祖母が話してる姿をどうも思い出せない。

そんな関係性だから出掛ける時は祖父だけだった。且つ出掛ければ祖父から怒られるわけで、おのずと祖父の記憶がべっとりと残り、祖母は優しかったはずという曖昧な表現になってしまう。

 


祖父が亡くなったのが小学4年生で祖母が亡くなったのは沖が大学生のころ。

本来、祖母との思い出が更新されていくはずなのだが、祖父が亡くなる時に一悶着あり疎遠になってしまった。

 


その話は『祖父の死2』で。