沖伝

いつか子孫が読んでくれたら嬉しい

祖父の死2

小学校4年の授業中。

 


沖は担任から早退を指示された。

 


学校の門前ではすでに両親及び兄が神妙な面持ちで待機しており、沖はランドセルを背負ったままその足で隣県の病院へ向かった。

 


病室へ入ると、沖をあんなに畏怖させた祖父が酸素マスクを付けて、昏睡していたので別人に思えた。

 


室内は祖母、父の弟家族、沖家族が居たが誰も口から発するものはなく、ただ心電図の音が定期的に鳴っているだけだったが、そんな状態でも祖父の容体は一応、安定しているそうだ。

 


父は一箇所に留まっておくのが苦手で、このような重苦しい雰囲気の中では殊更だった。

 


祖父が安定しているという言葉を受取るやいなやに、沖と兄を連れ、近くのグラウンドへ行き、そこで練習していた草野球チームに混ぜてもらうという父の行動力・社交性を遺憾無く発揮したのだ。

でもこの日は逆効果だった。

 


草野球の先輩選手が後輩選手に「ほら!この子のように腰を落として捕球するんだよ!よく見ておくんだぞ!」と、後輩選手をからかう事に加え、他人の子供は持ち上げてあしらおうとの魂胆が、今なら透けて見える発言に沖はまんざらでも無かった。

そんな最中、グラウンドの柵外から母が息も絶え絶えの様子で父の名を叫んだ。

どうも父をあちこち探しやっと見つけたらしい。

 


なぜ叫ばれたか。

父、兄、沖は簡単に答えが出た。

 


急いで病室へ戻ると先程の心電図と様子が違うし、酸素マスクもよく曇っている。

 


戻ってきた父が唖然としている時、父弟がキレた。

 


「ちゃんとしろよ!!!!!」

 


至極真っ当なご意見を頂いた父であったが、

 


「お前ばっかり大切にされてたからな!!」

と同じ熱量で反撃に出たのである。

 


これには父弟もさすがに閉口してしまい、祖母は泣いてしまった。その横で祖父は必死に吸って、吐いてしている。

 


祖父は孫だけでなく子にもお気に入りがあったようだ。認めたくないが沖は父に似ている。

 


この数日後に祖父は意識を取り戻さないまま亡くなった。

 


亡くなった時、沖は深い悲しみというわけではなかった。

ただ母が「泣いてもいいんだよ」と言い、泣いた方がいいのかと思い、泣いた。

 


そんな一件があり、父の弟&祖母とは疎遠になってしまった。

 


余談だが、沖が3日、4日と学校を休んだのは、祖父の危篤が理由であるとクラスメイトには周知の事実だった。

 


久々の学校で朝礼時、担任に「沖、おじいちゃんどうだった?」と問われた。

沖としては「死んだ…」と答えるつもりだったが、「死んだぁ」と声のチャンネルを誤って少々阿呆っぽく答えてしまった。

 

クラスのみんながドッと笑った。

 

意図しない笑いに沖も苦笑したが、今、上で見ているだろう祖父への申し訳なさと良心の呵責で泣きそうになった。

ここで母に「泣いてもいいんだよ」と声をかけられたら、わんわんと泣いただろう。

 


祖父から俺をダシに使いやがってと、いつものように怒られて泣く方がまだマシだった。