沖伝

いつか子孫が読んでくれたら嬉しい

兄1

ところどころに出てくる兄について。

 


兄は3つ上。優しくて反抗期もなかった。

人にキレたこともないだろう。兄だけ見ると両親の教育に誤りはない。

 


小学生の時、兄が丁寧に時間をかけて育てたポケモンレッドのカセットを無断で友達の家に持って行った。

その帰り、家の前で転けてしまい、カセットがちょうど側溝に入って落ちた。慌てて上蓋を取ろうと頑張ったが、小学生低学年の力ではびくともせず、大泣きしながら側溝の苔を取り除いていた(苔が接着剤のような役割になっていると思って)。

通りすがりの近所の大人が何事か!と手伝ってくれた。

しかし兄が帰宅するまでに事態は収集しなかった。兄は怒りを押し殺しカセットの救助を注視していた。兄も沖も一抹の望みを持っていた。

(若干の水没はあってもセーブデータは消えていないはず)

 

 

 

最終的にガムテープを貼った棒を穴から差し込みカセットを引っ付け上げた。

カセットが無事上がってきた時、やったぁ!と喜んだのは沖だけでなく、兄もそして大人も喜んだ。知らずのうちにチームになっていた。

 


だが喜ぶのはまだ早すぎる。

お礼もそぞろに自宅へ戻り、兄がカセットをゲームボーイに差し込みONした。

 


沖からは画面を見れず画面を見ている兄を見ていた。

心臓がバクバクする。

 


数秒後、兄はゲームボーイの画面からゆっくり顔を上げて沖を真っ直ぐ見た。

 

そして泣いた。

 


兄は見上げたり、顔を手で覆ったり、喚いたりはせず、ただ真っ直ぐ沖の顔を見て涙を流した。

 


セーブデータは消えていた。

 


『▶︎つづきからはじめる』の表示はなく

『▶︎さいしょからはじめる』だけになっていた。

 


この涙の攻撃力は非常に高かった。

暴力や暴言の方がまだ良かった。

今でもこの光景を思い出すと、沖の胸がキュッと締め付けられる。

 


そんな兄も大都会で変わってしまう(?)

祖父の死2

小学校4年の授業中。

 


沖は担任から早退を指示された。

 


学校の門前ではすでに両親及び兄が神妙な面持ちで待機しており、沖はランドセルを背負ったままその足で隣県の病院へ向かった。

 


病室へ入ると、沖をあんなに畏怖させた祖父が酸素マスクを付けて、昏睡していたので別人に思えた。

 


室内は祖母、父の弟家族、沖家族が居たが誰も口から発するものはなく、ただ心電図の音が定期的に鳴っているだけだったが、そんな状態でも祖父の容体は一応、安定しているそうだ。

 


父は一箇所に留まっておくのが苦手で、このような重苦しい雰囲気の中では殊更だった。

 


祖父が安定しているという言葉を受取るやいなやに、沖と兄を連れ、近くのグラウンドへ行き、そこで練習していた草野球チームに混ぜてもらうという父の行動力・社交性を遺憾無く発揮したのだ。

でもこの日は逆効果だった。

 


草野球の先輩選手が後輩選手に「ほら!この子のように腰を落として捕球するんだよ!よく見ておくんだぞ!」と、後輩選手をからかう事に加え、他人の子供は持ち上げてあしらおうとの魂胆が、今なら透けて見える発言に沖はまんざらでも無かった。

そんな最中、グラウンドの柵外から母が息も絶え絶えの様子で父の名を叫んだ。

どうも父をあちこち探しやっと見つけたらしい。

 


なぜ叫ばれたか。

父、兄、沖は簡単に答えが出た。

 


急いで病室へ戻ると先程の心電図と様子が違うし、酸素マスクもよく曇っている。

 


戻ってきた父が唖然としている時、父弟がキレた。

 


「ちゃんとしろよ!!!!!」

 


至極真っ当なご意見を頂いた父であったが、

 


「お前ばっかり大切にされてたからな!!」

と同じ熱量で反撃に出たのである。

 


これには父弟もさすがに閉口してしまい、祖母は泣いてしまった。その横で祖父は必死に吸って、吐いてしている。

 


祖父は孫だけでなく子にもお気に入りがあったようだ。認めたくないが沖は父に似ている。

 


この数日後に祖父は意識を取り戻さないまま亡くなった。

 


亡くなった時、沖は深い悲しみというわけではなかった。

ただ母が「泣いてもいいんだよ」と言い、泣いた方がいいのかと思い、泣いた。

 


そんな一件があり、父の弟&祖母とは疎遠になってしまった。

 


余談だが、沖が3日、4日と学校を休んだのは、祖父の危篤が理由であるとクラスメイトには周知の事実だった。

 


久々の学校で朝礼時、担任に「沖、おじいちゃんどうだった?」と問われた。

沖としては「死んだ…」と答えるつもりだったが、「死んだぁ」と声のチャンネルを誤って少々阿呆っぽく答えてしまった。

 

クラスのみんながドッと笑った。

 

意図しない笑いに沖も苦笑したが、今、上で見ているだろう祖父への申し訳なさと良心の呵責で泣きそうになった。

ここで母に「泣いてもいいんだよ」と声をかけられたら、わんわんと泣いただろう。

 


祖父から俺をダシに使いやがってと、いつものように怒られて泣く方がまだマシだった。

祖父の死1

家族が産まれた話をしたので、家族が亡くなった話もする。

 


母方の祖父が亡くなった時、沖がまだ保育園児でほとんど記憶がない。

父方の祖父が亡くなったのが、小学4年生の時だった。物心ついてから家族が亡くなったのは父方の祖父が一番最初である。今回は父方の祖父について書く。

 


沖は祖父のことをずっとヤクザと信じていた。

金のネックレスと金の時計をつけ、札をポケットにくしゃっと入れ、毎回お釣りの小銭は兄と沖に寄付してくれる。

 


ヤクザと信じさせるのはこの身なりだけでなく、いつも怒っていたからだ。痰が絡んだような声で怒った。

兄は利口だったため、たいてい沖が怒られた。

 


沖は粗相をしたり、兄にくだらないちょっかいをかけたりして、祖父の家に行った日は必ずと言っていいほど怒られた。叱られたよりも怒られた。

 


一度寝小便を垂らした沖に祖父が怒った時、前日の銭湯でジュースをいっぱい飲ましたからだと、あろうことか祖父のせいにした。

後で知ったことであるが、監督責任ということで父もこってり絞られたらしい。

祖父の家に行くのが嫌で露骨な仮病を使ったこともある。

怒られるうちが華とか手のかかる子ほど可愛いとか、沖はこの言葉を言い伝えはしない。

間違いなく祖父のお気に入りは兄だった。

 


そんな祖父をヤクザだと最近まで信じていた。

最近になってヤクザだったんでしょ?と母に聞くと、違うチンピラだよ。と言った。

そうとなればあのポケットにあった札はどこから来たのか。

 


祖父と祖母は互いに一人暮らしをしているような夫婦だった。

祖父は家でご飯を食べたことがないらしい。

祖母のご飯が不味いからだそうだ。確かに米の水っ気が多くてべちゃべちゃしていた。

祖母の顔はしわがぐっと寄った険しい顔をしていて、沖は祖母に会う度にカップヌードルのエビを思い出した。

顔は険しかったけど、祖母は優しかったはずだ。

はずと言うのも祖母は祖父に相当に気を遣っていたんじゃないかと推測している。

本当は、孫をそんな怒らないで!と思っていたに違いない。ただいかにも昭和気質の祖父にそんな指摘が出来るはずもない。

そもそも祖父と祖母が話してる姿をどうも思い出せない。

そんな関係性だから出掛ける時は祖父だけだった。且つ出掛ければ祖父から怒られるわけで、おのずと祖父の記憶がべっとりと残り、祖母は優しかったはずという曖昧な表現になってしまう。

 


祖父が亡くなったのが小学4年生で祖母が亡くなったのは沖が大学生のころ。

本来、祖母との思い出が更新されていくはずなのだが、祖父が亡くなる時に一悶着あり疎遠になってしまった。

 


その話は『祖父の死2』で。

長男の出産

不公平にならないよう長男の出産の時も書く。

長女の出産からおよそ2年。世の中はコロナにより大いに変化した。

長女出産からしばらくして中国武漢にてコロナウィルスが確認。それからもテレビでは、屋形船の乗客コロナウィルス感染!奈良のバスガイドがコロナ!など局地的な報道であり遠い存在だった。

 


しかし長男出産のころ、都道府県によってはコロナ感染者が1日で千人を超える日も珍しくなく、マスクは服のような存在になっていた。

 


長男の出産に立ち会えるか否かはコロナウイルスの状況次第であったが、幸い出産間近になると状況は落ち着きを見せ始めた。

また妻と沖が妊婦とその夫ということで、出来立てのワクチンを接種できたのも一助となり、直前のコロナ検査結果が陰性であることを条件に立ち会い許可と相成った。

そして出産日、共にコロナ陰性で立ち会いが叶った。

 


長女の時よりも嫌なドキドキはなく進んだ。看護師は力の入れ方がとても優秀だと妻を褒めちぎっていた。

長女の時よりも何時間も短縮され長男は産まれた。

沖は改めて妻に感服した。

本人曰く長女の時より痛かったとのことだが、最初から最後までマスクを外さなかった(外していいと言われていたのにだ!)。

見上げた忍耐力精神力。

もし3人目が出来たらさすがに無痛分娩にしたいと笑っていた。

 


こうして無事長男が出産されたが、沖は不安を抱えていた。

 


それは長女と同じように愛せるかという点だった。

このことは長男妊娠前から妻と話していた。

沖は2人目が出来て、長女が寂しく思ったり、疎外感を感じるようになったりするのではと非常に心配していた。

沖は長女に無我夢中で一点集中だったのだ。

 


2人目を神から授かり、男の子と分かった途端、さらに不安がました。

 


端的に言うと沖は男が嫌いだ。

男の人格や振る舞いは好きだ。

でも男の造形が本当に嫌い。

この世界で最も汚いと思う。

ゴツっとしたり、ウニョっとしたり、毛がモサっとしてるし、我ながら我の身体は汚く醜いと感じる。

とにかく男の身体を見たくも触りたくもないし、男に触られたくもない。

偶然に手が触れようものなら、自分の手さえも気色悪く思えてしまうのだ。

だから長男に対してどんな感情を持つのか全く予想がつかなかった。

 

 

 

現在、長男が4ヶ月の齢となる。

沖の日課は長男の手や頬に繰り返しキスをすること。

 


あの不安は杞憂に終わった。

なんとも愛らしい笑顔を見せる長男は長女のイヤイヤ期を超越する力がある。

自分以外のおちんちんを気持ち悪く思わないのは、初めてだ。


物理学で最も基本的な原則はエネルギー保存の法則らしい。この世界のエネルギーの総量は一定であるという法則だ。

 


この法則は愛には当てはまらない。

"この世界の愛の総量は常に増加する。右肩上がりで " by沖

ここに沖の法則を書き記す。

リアルでこういうことを言うと周りの人は吹き出して笑う。おふざけ者と思われている節があり、こんなキザなこともキザとは受け止められず、沖がまた馬鹿なこと言ってらと笑いを得て終わる。

 


沖も真面目に本気で書いているわけではないので、受け手が真に受けて気色悪がられることは心外だ。ブサイクなローランドと思ってくれればいい笑

 


話はそれたが、

2人目に生まれてきてくれたのが、男の子で良かったとさえ今は思う。

 


男として長男の30倍ほどの年数を生きている沖だ。長男には男としての知恵や経験を相続してやりたい。

 


ただ真っ先に伝えたいことは

願わくば子を産み育ててほしい。

この幸福は何物にも変え難いぞ。

 


無論、沖はいつか孫を見たいこと申し添えしておく。

長女の出産

前回、血に関連してと述べたが、出産で血を見て沖が卒倒したとかそんなことではない。

実際、血は一滴も見なかった。というよりも見せないようしてくれた。

 


妻は沖が血が苦手であることを憂慮し、どういう出産にしたいかという確認書にその旨記載し提出していた。

 


予定日よりも前に陣痛はきた。夜、病院へ向かってから夜通し妻は断続的な痛みに耐え続けた。

子宮口は10センチ開くのが目安とのことだが、夜明け前、看護師からまだ2センチしか開いていないと聞き我々は愕然とした。

しかし考える隙も無く痛みが押しては引いていく。

夜が明けてようやく子宮口が開いてきた。それでもなかなかすんなりとはいかず妻は非常に苦しそうだった。

そのうちに看護師が医師を呼んで!とやや慌て気味で指示をしたため、沖は緊張の糸がピーンと張り詰めた。何かやばいの…?と心臓がバクバクした。

 


ベットの手すりを目一杯に握る妻の手を上から握ってあげることだけが沖の出来ることだった。

格好つけるわけではなく、こういう時言葉はいらない。

「頑張れ!」と言っても「もう頑張ってるわ!」

「もう少し」と言っても「お前に何が分かんねん!」

この状況で男が吐くどんな言葉も遠く薄く軽く弱い。

 


そして医師が来るなり妻に酸素マスクを付けた。

この状況になると、妻が死んでしまうのではないかと気が気でなかった。

それから数時間、状況をつぶさに観察することは出来ていない。真っ暗な世界にいたように余裕を失っていた。ただひたすらに「頼む!」と心の中で何度も叫んだ。対象は医師だ。頼むから妻を死なせないで!

 


朝、悲願の瞬間は訪れた。赤ちゃんがこの世界で始めて泣いた。

沖も泣いた。

正確にはそれより前に沖は泣いていた。号泣した。

こんなに泣くのは、家族が死ぬ時か産まれた時だけだと思う。

 


妻は苦痛に耐えながらも冷静だった。

妻が多少なりとも豹変することを覚悟していた。

友達の姉が出産した時の話を聞いていたからだ。

友達の姉は非常に温厚な性格であり、友達でさえ怒ったところを見たことがないというほどであった。しかし出産の際、聞き違いによる些細な誤りをおこした母親に対して、「死ね!」と叫んだらしい。

お腹から命を生もうとする人が口では死ねと言う人になっているのがおかしくて、聞いた時は笑ってしまった。

我を忘れるほどに命懸けなんだ。

 


立ち会いをして本当に良かった。

赤ちゃんの指の数を確認してくださいと言われ5本5本で10本ですね? はい。 というやり取りがあった。もし8本7本で15本ですね?と言われても はい。 と言っていたと思う。そんなことは後で考えようと無我の境地であった。

 


それよりも赤ちゃんが元気に産まれてきてくれたこと、妻が無事なこと、沖に血を見せないようにしてくれたこと、力んだために目が真っ赤に充血してること、色んなことが混在して安心と感謝の気持ちでいっぱいだった。

 


この時、俺は妻子のために身を粉にして働いてやる!と決意した。

でも我ながら不甲斐ない男と思う。

情熱大陸を見た時に俺もこの人みたいに頑張ろう!と決意することがある。でも寝ると情熱大陸を見る前の沖に戻っているのだ。

今回も基本に忠実であった。結局妻の5日の入院中は毎日、長時間病院にいた。

ポジティブな決意はすぐ忘れるくせに、不安や気がかりなことは忘れられない。都合の悪い脳みそだ。

この日、子供が産まれ、母も生まれた。でも父はまだ生まれていない。妻に子供が2人いるような家族だ。沖よ。はやく父になれ。沖より。

最古の記憶

覚えている最古の記憶。

聞いて情景を想像したものでなく、自分の肉眼から海馬に保存した最古で最初の記憶は保育園の時だった。

両親は共働きだった。自転車で決まった曜日にどちらかが担当し沖を送り迎えした。

その日は父が担当で保育園からの帰り道のことだった。

いつも通り自転車の後部座席に座った沖は、いつも通りただ座っていれば家に到着する手筈だった。

でもその日だけなぜか回転する後輪に足が届いてしまったらしい。

ホイールが足のかかとをえぐった。

ポタポタと流れ出るほどの出血をしたが、前を向く父親は気付いていなかった。

 


ヘンゼルとグレーテルが来た道の目印にパン屑を落としたように、沖のかかとから落ちる血がアスファルトに来た道の目印を残した。

 


しばらくして気付いた父親が狼狽しながらも病院へ向かった。以上、伝聞。

 


沖の最古の記憶は病院でのシーン。待合室。3人掛けで黒い椅子に座り、ひょうたん型の給食の皿のようなものを持ち、かかとから流れ出る血を受け皿にしているところだ。

そこからどういう処置をしてもらったかは覚えていないが、かかとの縫い跡が今も残っている。

なんの特徴もなく、取ってつけるものでもないシーンを、なぜ鮮明に覚えているのか分からない。

人間は覚えなくてよいことを覚えていて、忘れてはいけないことは忘れていることが往々にしてある。

 


保育園児の沖には未来にむかう無限の道があった。しかしこの経験により目的地が医師への道は取り壊された。

血を見ただけ、もっと言うと血を想像するだけで、口の中に鉄の味が広がり、過剰に唾液が分泌されるようになった。

(このことが無くても多分医師にはなってない。否。なれない。)

 


次回は血に関連して、『妻の出産』について。

はじめに

沖です。

このブログを始めたのは、ちょうど30の年になり何か始めようかと思ったことがきっかけで、

考えてみると、案外自分の父親と母親がどうやって出会って〜とか、おじいちゃんがどんな仕事してて〜とか知らないなぁと思ったので、

自分の子供や孫がジジイこんなことしとったんかと。

いつか届けばいいかなと。

 

そのためただただ今までの沖の歴史を、散文で連想ゲームのように、思い付いたことを形式ばらずに書いていくつもりです。(自分で書かないと誰も書いてくれないので)

そのため時系列はバラバラです。